2018年12月16日

【県道探索】2018年8月11日探索の記録(3)

皆さんこんにちは!
TomoKです。

今回も前回の続きです。
今回は飯田駅に戻るために西向きに進みます。


前回は、
飯田駅からR151を東に進み、
R153飯田バイパスのあたりまで行きました。
(このあたりのgoogleマップ)

そして私はこの後、
右の写真の、飯田バイパスの接続路から分かれる道に入っていきます。
この先に何が待っているのでしょうか?

この道は、実は県道です。

◇◆長野県道230号 青木東鼎線◆◇

接続の仕方を見るに、
おそらく、飯田バイパスができる前は
直接R151やR153につながっていたのではないのかな、と思います。

では、さっそく入りましょう。
こちら側は終点で、これを起点に向かって西方向に進みます。


1.5車線幅というところでしょうか。
このあたりは市街地から少し離れたところなので、
この幅の県道でもさして驚きません。
(前日にもっと細い道路を経験してるせいかも)

ただ、離合は少し難しそうな幅。

少し進むと、南からJR飯田線の線路がやって来ます。
下山村駅付近で、r230は突き当たって、
左に曲がり、線路を渡ります。


突き当りの前に、自分が向かうのとは逆向きに、



んー、色あせ具合が味をしめてますね!!

背面(画像なし)には何も貼ってありませんが、
ポールには「長野県」のシールが貼ってあります。

突き当りを左に進み、踏切を渡ります。
踏切は撮影し忘れましたが、
踏切の角に、国道おにぎりのようなものが立っていました。

さびていて、原形がなんなのか
見当がつきません。
この道が国道だったという情報は聞いたことがありませんので、
鉄道関係の標識なのでしょうか?

踏切を過ぎるとすぐにまた突き当り。



さっきよりは色が残っているが、
やはり古めのヘキサ。

思うんですが、なぜr230のヘキサって、
補助標識が「青木東鼎」と「線」の文字がないんですかね。
文字色も青いし。ちょっと謎ですが。

で、上にソトバがついていますので、その通りに右折。


狭い道はまだ続きます。


途中何か所かに、小さな待避所もあります。
ときどき両方向から車が来たとき、
向こう側から来た車が、待避所に待機していました。


左手に川が流れて、ガードレールが立っています。
もともと道幅が狭いので、待避所があることはすれ違いの助けになります。

r230の起点は飯田市街地に近いところ(それでもはずれの方)なので、
終点から起点へは、ずっと坂を上る状態で進みます。

さっき渡った飯田線は、
r230の少し北側を並走しますが、
だんだん住宅や事務所や店舗が多くなるので、見えなくなっていきます。

やがて信号交差点(下山西交差点)がやってきます。


この下山西交差点から起点にかけては、
対面2車線になります。
ここからは普通の県道。



いくつも、交通量のある通りを通過しながら
坂を上っていきます。
1984年に飯田市に合併した旧鼎町の中心部付近を通ります。

このあたりも昔はさっきのようなやや狭い道路だったみたいで、
都市計画道路「下山妙琴原線」として整備されたようです。

いずれは下山村駅の周辺の狭路も整備されるのかな?

終点から3.6kmでR256との「妙琴公園入口」交差点に。
ここがr230の起点です。


前回書いたR151は南東に進んでいて、今回のr230はほぼ西に進んでいるので、
飯田駅に戻るには右折して北に進みます。

ちなみにここを直進すると市道になって、
r15のバイパスに至ります。
このバイパスは飯田市街地を北西に回避して
中央道飯田ICを結ぶべく建設中。

この交差点を右折してR256に入ります。

妙琴公園入口を右折してR256に入る
よくあるローカル国道のような路面。

実はここもR153だったらしく、
その動かぬ証拠がこちら。



「切石横断歩道橋」と名のついた歩道橋。
「国道153号至伊那 47km」と書いてあるのが見えます。

つまりここは、R153飯田バイパスの旧道でして、
国道としての役割をR256に譲ったわけですな。

市街地に直結する道で、
R153が名古屋・豊田と伊那・塩尻を結ぶ
という性格上、
通過交通をさばききれなかったために、
バイパスが作られたのでしょう。

R151元飯田橋でまたいだ松川を、
「松川橋」でわたりますと、


R256(R153旧道)は右斜め前に進みます。
大型車は直進できない旨の標識・看板がついていますが、
実はこの直進方向はR153旧旧道だったようです。

道路の接続の仕方がそれっぽかったので、
推測はできたのですが、
ここを歩いていた時までにその確証が得られていなかったので、
黙って右前に。

飯田線の下をくぐる。
飯田線が高架になっていて、その下をくぐります。
上の旧旧道が細い道で、途中踏切があったりしたので、
昭和40年代後半頃にできた「羽場坂バイパス」です。

今はR256のおにぎりしかありませんが、
当時はR153のおにぎりが立てられていたことでしょう。

羽場坂という名の通り、ここからは市街に向かってさらに坂を上ります。



歩いた時には法面崩壊のため工事していて、
左側の歩道は通れなかったので、
途中の交差点で右側に移りました。

この勾配を上ると左カーブしたのち、
飯田大橋という名の橋を渡ります。


右の写真は飯田大橋からの眺め。松川の向うの鼎町付近が一望できる。

ここを渡れば市の中心部に入ります。
R256沿線は市役所や行政機関が並びます。
渡った先の交差点で再び左側の歩道にでますと、
こんな看板発見。



飯伊と東三河(豊橋)遠州(浜松)を結ぶ
三遠南信道路の早期実現
南信地域期成同盟会

三遠南信道(R474)は、
分断区間のあるR152やR256を補完する役割があるのですが、
非常に険しいところに道を通す計画だということもあって、
未だに全通には至っていません。

飯田市側と浜松市側、それぞれ一部は開通していて、
飯田市側は、飯喬道路の一部と矢筈トンネル(小川路峠トンネル)が開通している状態。
全通にはまだ時間がかかりそうです。

この看板が道路の右側にあるので、
左側に移ったのを少し後悔、、、

ここから少しすれば、
中央通り2・3丁目交差点にたどり着きます。
R256はここを右折してR151に重複し、東寄りに方向を変えます。



R256は、制定当時(1963年)には、飯田市が起点でして、
かの有名な「小川路峠」を含む区間がR256の経路に編入されたのは、1975年のことでした。
この小川路峠区間は峠の東側(飯田市旧上村側)が不通区間になっていて、
1970年にR152に区域指定されました。
75年に編入されたR256はR152と重複のまま小川路峠を抜け、
そこからは北に、現在のR152と同じような経路で
茅野市まで向かう国道だったそうです。

R256が現在のように小川路峠どまりになったのは1993年のことで、
このとき、当時県道だった上田茅野間とあわせ、
もともとR256だった茅野~上村間がR152に移管されました。

このように、R256の小川路峠区間に関しては、
R152や、その実質バイパスのR474との関係で
経緯が複雑だったりもします。

何というか、日本の道路行政の奇怪さというか…
こういう経緯を聞くと、何かそんなことを感じますな。

(ちなみにこの小川路峠の不通区間も、
ヨッキれんさんが探索されて、「山さ行がねが」にレポートが掲載されております。
この机上調査編に上の路線改定の経緯がわかりやすい図で載っていたりしますので、参考になります。)

さて、中央通り2・3丁目交差点を左に曲がり、
飯田駅に戻りましょうか。



上2枚:中央通り3・4丁目。前回の写真とは反対側。左はその案内看板。
下2枚:r8の(飯田南木曽線)ヘキサと起点標識。

保留しておいた県道8号(飯田南木曽線)のヘキサ。
R153の旧旧道は、羽場坂の手前の分岐から、
最終的はこの通りを通ってきたのでしょうか。
確証はないですが。

ちなみにr8は飯田駅の南側を抜けて、
大平峠を通って、南木曽町のR256まで行く県道です。
大平街道という、伊那谷と木曽谷を結ぶ街道で、
歴史のある道らしいのですが、
典型的なカーブと坂で出来た山道ですかね。
冬季は閉鎖されるみたいですし。

R256も飯田から木曽方面に行きますが、
一旦R153と合流、南下して阿智村から南木曽町に向かうルートを通っています。
ちょっと遠回りな気もしますが、
阿智村から南木曽町の間はR256の方が整備が進んでいるので、
山道で事故を起こすよりはいいかもしれません。

ここから飯田駅で再び電車に乗りまして、
伊那で一泊。
8月12日は伊那でも歩きましたので、
次回はその様子を書くことになりそうです。

長い記事でしたが、
ここまで読んでいただきありがとうございました。
ではまた!

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